スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    • 2023.01.12 Thursday
    • -
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    行き止まりの世界に生まれて

    0

       

      行き止まりの世界に生まれて

      出典:IMDb

       

      「行き止まりの世界に生まれて」

      原題:Minding the Gap

      監督:ビン・リュー

      2018年 アメリカ映画 93分

       

      ラストベルトに位置するイリノイ州、ロックフォード

      に住むキアー、ザック、ビンというスケートボードを

      通じて繋がった3人の若者の12年間の生活をビンが

      撮影したドキュメンタリー映画です。


      <お勧め星>☆☆☆☆ あらゆる方面から受ける閉塞感

      の中でもがく若者の姿そのものが映し出されています。


      スケボー仲間が家族


      冒頭に立ち入り禁止のビルに入り込むキアーとザック、

      それを映すビンは、「落ちるからやめようぜ」

      「落ちたら命はない」などと言いながらビルから降りて

      いきます。そしてビンの「子供は自由。しかしやがて

      そうでなくなる」というナレーションが流れます。
      彼らが暮らすイリノイ州ロックフォードは全米で2番目に

      危険な町と呼ばれ、人口流出は止まらず、「ラストベルト」

      に位置しているのです。かつて自動車産業で繁栄を極めた

      時代の名残がそこかしこに残り、借り手のつかない空き

      店舗だらけの街並みを見ると、まさしく寂寥感に襲われる

      のです。

       

      行き止まりの世界に生まれて
      出典:IMDb

       

      行き止まりの世界に生まれて

      出典:IMDb

       

      そこにずっと暮らしている3人の若者の12年前の姿が映ると、

      スケボーで繋がり、自由を謳歌しているかのような天真爛漫な

      笑顔が見られるのです。キアーは黒人であるがゆえにいじめられ

      そうになったところを救ってくれた少し年上のザックを慕い、

      親しくなります。3人の若者の家庭環境は恵まれておらず、

      例えばキアーは両親が離婚し大工の父に厳しく育てられ、

      しばしば暴力を受けてきました。またザックは幼い頃母親が

      家を出ていき、父子家庭で育ちましたが、突然保守系思想に

      変わった父に大反発して家を出ています。撮影しているビンは、

      母親の再婚相手に頻繁に暴力を受けて育ちました。

       

      行き止まりの世界に生まれて

      出典:IMDb

       

      またザックにはニナという恋人がいて彼女との間に子供が

      生まれますが、彼女も家族に恵まれた生育をしていないのです。
      このように親子、男女、貧困、人種などにより多くの希望が

      閉ざされていく時間12年間が、ビンのカメラに収められて

      いきます。ビンが語る通り「人生は猛スピードで進んでいく」

      のです。
      ザックは生まれた子供エリオットのために「何でもする」と

      語りますが、今より収入のいい仕事に就くために高卒認定試験を

      受けるものの、その問題文すら理解できなかったと言います。

      そしてニナとも喧嘩が絶えなくなるのです。生活のために

      ニナも働くものの、21才という若さですから、子守をザックに

      頼んで遊びに出かけることもしばしばで、それを巡る口論から、

      遂には暴力まで振るわれます。
      ロックフォードは全米で2番目に暴力が多い街であり、その

      大半が家庭内暴力、それも女性への暴力が蔓延していると

      語られます。
      ニナも普段のザックは好きだけれど、酔って喧嘩になった時は

      手が付けられないと言い、ザックはルームメイトのカイルに

      ニナが暴言を吐いているシーンを撮影させています。

      結局ニナは、叔母夫妻の家を頼るのですが、それは彼らから

      すると「愛情あふれる家庭」だけれど、一般に見ると

      「普通の家庭」のように思われるのです。
      またビンの母モンユエのインタビューをビン自身が撮影します。

      かつて継父デニスがビンを殴っていた時、実は彼女も暴力を

      振るわれていたけれど、

      「彼は凶暴な一面はあったけれど、たいてい優しかった」
      と語るのです。さらに「一人はいや」と。

      一方キアーは父を嫌っていたけれど、その父は常に

      「白人の仲間がいても黒人であることを忘れるな」と言い、

      「黒人はいつも問題に立ち向かっている」とも言っていたの

      です。

      キアーは免許証や車検証は常に車のダッシュボードの上に

      置いています。なぜなら、白人警官に止められ、提出を

      求められたときにダッシュボードを開けようとしただけで

      射殺された仲間がいるからなのです。

       

      行き止まりの世界に生まれて
      出典:IMDb

       

      映画内で白人の貧困層の苦悩を語る青年がいますが、それは

      黒人青年たちに制止されます。問題の根本にある「人種差別」

      はその上に貧困が重なると、一層根深いものになっていくと

      いうことです。

       

      行き止まりの世界に生まれて
      出典:IMDb

       

      時を経てキアーはレストランの洗い物係からホール担当に

      変わりますが、ザックは勝手にデンバーに引っ越し、そこで

      新しい恋人サムと暮らし、酒とドラッグに溺れる日々を送る

      のです。ザックはどう見てもアル中なんだけれど、彼曰く

      「ネガティヴから立ち上がれない、とことん落ちるタイプ」

      らしい。その間にエリオットを働きながら育てているニナに

      ついてどう考えていたんだろう。彼自身が母親の愛情を知らず

      に育ったことに起因しているのでしょうか。
      この閉塞感に満ちた街を遂にキアーは出ていくことに決めます。

      逆にザックはこの街に戻ってくるのと対照的です。

      またビンの母親は再婚し、そのエスコート役をビンが務めるの

      です。彼らに今以上の未来が見えているのかどうか、

      エンドロールに流れる現在の彼らの様子を読んでも、それは

      形となって頭の中に浮かんできません。しかしスケートボードで

      繋がった友情はこの先も続いていくのだろうななどと考えて

      しまいました。それはラストに流れるスケートボードを走らせる

      彼らの姿があまりに生き生きしていたからかもしれません。

       

       

      ブログランキング・にほんブログ村へ
      にほんブログ村  人気ブログランキングへ


      RBG 最強の85才

      0

         

        RBG

        出典:IMDb

         

        「RBG 最強の85才」

        原題:RBG

        2019年 アメリカ映画 98分

        監督:ベッツィ・ウェスト

           ジュリー・コーエン

         

        1933年、ニューヨーク、ブルックリンに生まれた

        ルース・ベイダー・ギンズバーグは、1993年、

        クリントン大統領によって史上2人目の最高裁判事に

        任命される。彼女は弁護士時代から一貫して法の下の

        平等を訴え、格差の是正の取り組み続けていた..。


        <お勧め星>☆☆☆☆半 見終わって感動してしまい、

        しばらく文字が出てきませんでした。


        真実の力と普遍性


        この映画はドキュメンタリーで、2018年に

        フェリシティー・ジョーンズ主演

        「ビリーブ 未来への大逆転」という映画で彼女について

        描かれています。その映画では、ルースは意志が強く、

        反骨精神が表情からにじみ出るような雰囲気でしたが、

        実際のルースは、極めて控えめであり、内気で討論の場

        でも言葉が少ないのです。ただ要点を確実に突いた話が

        できるという高い能力を持っていることが伺えます。
        ルースはニューヨーク、ブルックリンに生まれ、

        ウクライナからの移民の父を持ち、母も高卒という学歴

        でした。しかし母のしつけは厳しく、

        「淑女であれ」=怒りなどの不毛な感情にながされるな。
        「自立せよ」=自活する能力も必要。

        という教えのもと、勉学に励みます。そして進学した

        コーネル大学では、男子4人に対し女子1人という比率

        でした。いやいや日本では、進学高校に入学する女生徒が

        500人中、10人余りという時代が1970年代でも

        存在していたんです。ただルースが恵まれていたのは、

        その能力を認め、生涯を共にするマーティンと出会った

        ことで、マーティンは
        「自分の能力に自信があるから女性の能力を認める」と

        いう考え方でした。女性は感情的で話し合いには向かない、

        などという極めて根拠のない思い込みがない人物だった

        のです。
        時折挿入される孫娘クララの話から、ルースのモットーは

        「討論の場では大声を出さない」ことであると知ります。

        大声で相手を威圧したところで、到底納得させることは

        できません。
        さてルースはハーバードのロースクールに通い始めますが、

        そこでの女子学生の比率は1%です。さらに学内の図書館

        への入館を断られ、学部長からは「君たちは男性のいるべき

        座席に着いた」とまで言われるのです。それに対し、

        ルースは学業に励み成績を上げていきます。中盤に彼女の

        言葉として出てきますが、何かを訴えるためにはデモで

        はなく「スキルを活かす社会」を世間に知らせようと
        務めるのです。

        マーティンと結婚したルースは出産を経て学業を続けますが、

        マーティンはガンを患います。その際、彼の看病と学業の

        援助と子供の世話と自分の学業をすべてこなしたタフな

        人間だとわかります。そしてガンから回復し、

        ニューヨークの法律事務所に勤務したマーティンとは裏腹に、

        ルースは女性であるがゆえに雇ってくれる場所がなく、

        大学でジェンダー法について語る講義をする職に就くの

        です。彼女が素晴らしいのは、話に余談がなく「核心」のみ

        語っていることで、そこには多くの文献を読み、法律を

        熟知して仕事に臨んでいることがうかがえます。

         

        RBG
        出典:IMDb

         

        1973年、女性の空軍での処遇が憲法違反であると訴えた

        案件から始まり、彼女は法の下の平等と市民権の獲得を

        求めて活動し続けるのです。1975年には、男性の

        一人親手当の取得を裁判で訴え、勝訴します。
        それは「性差別は万人を傷つける」という信条に基づいて

        おり、女性だけの権利を守るわけではないとわかります。

        ここで肝心なことが出てきます。法廷ではどうしても

        相手側からの「挑発」ともとれる主張が出されることが

        しばしばで、それに対し、ルースは、母親の教え通り

        「怒りを鎮める」ことに徹するのです。つまり同じ土俵に

        上らないということですね。

         

        RBG

        出典:IMDb
         

        カーター大統領時代に彼女は、DC巡回控訴裁判所の判事に

        指名されます。その時夫マーティンは、

        「二番手でも気にしない」と自らの職を辞してルースについて

        行きます。彼女の娘や息子が語るには
        「父は料理上手、母のせいでメカジキは食べられない」。

        夫婦が互いの能力を認め合って、それを助け合う姿って

        現代においてもそれほど見かけないですよね。

         

        RBG
        出典:IMDb

         

        1993年、クリントン大統領時代には、マーティンは、

        ルースを最高裁判事候補に売り込みます。自分の妻の能力を

        一番知っているのは夫なのです。そして見事判事に決定

        すると次々に「法の下の平等」を唱えて多くの裁判を

        手掛けるのです。とはいえ最高裁判事で思想が全く異なる

        仲間と交流がなかったかというとそうではなく、完ぺきな

        保守派のスカリア判事とは、極めて近しい友人関係だった
        とのこと。法の見解は異なっても、オペラなど共通の趣味が

        あれば、私的には親しく付き合えるわけです。

        これも素晴らしい。

         

        RBG
        出典:IMDb

         

        映画内で空軍での男女の処遇格差に声を上げた女性が

        「まともな女性は声を上げない」と言います。それはつまり

        「わきまえた女性」思想につながるのではないでしょうか。

        それを助長しているのが同じ女性も含まれていることに

        もっと気づかなくてはいけません。
        ルースはトランプとヒラリーが大統領を争った選挙で

        トランプを「詐欺師」呼ばわりし、結局謝罪しています。

        ある程度の地位、それも裁判官という立場からの発言と

        しては、かなり問題視されるものかもしれません。それは

        家で紅茶でも飲みながら言ったらよかったのでしょう。
        映画を見終わってしばらく文字が書けず、とにかくルース

        という人間のすばらしさとそれを支えてマーティンの

        すばらしさに感銘しました。他者を納得させようと思ったら、

        それはヒステリックな言葉ではなく、確固たる根拠に

        基づいた少ない言葉で済むとも思います。

         

         

        ブログランキング・にほんブログ村へ
        にほんブログ村  人気ブログランキングへ

         

         


        三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実

        0

           

          三島由紀夫

          出典:youtube

           

          「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」

          監督:豊島圭介

          2020年 日本映画 120分

           

          1969年5月13日、東大駒場キャンパス

          900番教室で、1000人の東大全共闘学生と

          三島由紀夫の討論会が開催される。思想が両極端

          と思われる話し合いだったが、次第に両者の中に

          共通の認識があったことに気づかされるのだった...。


          <お勧め星>☆☆☆☆ 思想信条が全く異なって

          いても相手への尊敬を忘れない討論風景には感動

          しました。


          言霊を信じる


          1960年、日米安保条約の改定を巡り国内では

          混乱が続き、衆議院での強行採決をきっかけに学生

          などを中心とした反対運動が盛り上がっていきました。

          この年代のことはほとんど本やドキュメンタリー番組、

          映画などで知ったことなのですが、1968年、5月、

          フランスにおける「五月革命」、同年8月、

          チェコスロバキアにおける「プラハの春」事件などを

          知った若者たちは世界同時革命が可能ではないかと考え、

          ベトナム戦争反対、大学改革反対、資本主義への反対

          などをスローガンに日本でも学生運動がさらに

          エスカレートしていったのです。
          その中で全学共闘会議が設立され(通称全共闘)、当時

          右翼、民族派を自称し、楯の会を主宰していた作家、

          三島由紀夫を論破しようと、1969年、5月13日、

          東大駒場キャンパス900番教室に彼を招いたわけです。

          全共闘側の学生は約1000人、三島由紀夫を揶揄する

          ポスターを見て、彼はその講堂に入っていきます。

          三島由紀夫は60年代に入ると政治色が強くなり、反革命を

          主張し、同時に自らの武術や体を鍛え、幾度となく主宰して

          いる楯の会のメンバーと自衛隊に体験入隊しています。

          この体験入隊というのがかなり過酷であることは、昔から

          有名で、一時期新入社員の研修に使っていた会社もあった

          ほどです。今でも行っているんでしょうか。

          映画内では現在の元全共闘のメンバーや元楯の会に所属

          した人、そして取材したテレビ局員や週刊誌記者などの

          インタビューも挟み込まれます。

           

          三島由紀夫
          出典:youtube

           

          物々しい雰囲気で始まった討論会は、冒頭の三島由紀夫の

          10分間の演説を誰もみな静かに聞き入ります。実際、

          全共闘側も楯の会側も、最前列に「もしも何か起きたとき」

          のためのメンバーを座らせていたそうですが、それは全く

          の杞憂に終わります。三島由紀夫は「言葉の有効性」を

          主張し、学生たちが権力に反対するのは、相手側の

          「眼の中に不安」があるからだと語るのです。そして

          彼自身は
          ・当面の秩序を保つことが嫌い
          ・非合法の暴力の肯定
          ・反知性主義である
          と言います。この3番目の「反知性主義である」という話は、

          彼の存在の正反対のものだと思ってしまうのですが、

          反知性主義の概念が、三島由紀夫の思想と通じるものが

          あったのでしょうか。知識が浅く、ここは理解できません

          でした。三島由紀夫は学習院高等科を首席で卒業し、

          在学中に既に散文を書いて認められているのです。彼ほど

          多くの本を読み、知識の豊かな人間が自分のことを反知性主義

          であるというのは、どこに理由があったのでしょう。

           

          三島由紀夫
          出典:youtube

           

          そして全共闘側の学生の一人は、つい「三島先生」と呼んで

          しまい、聴衆の失笑を買います。その後乳児を肩車した

          全共闘学生、芥正彦が論客となります。

           

          三島由紀夫

          出典:youtube

           

          彼は現在も前衛劇団を主宰していて、当時の風貌と全く

          変わっているとはいえ、唯一思想に変化のない人間です。

          彼が主張する「解放区」については三島由紀夫もそれを十分

          理解し、受け入れるわけです。この間に、遠くから

          「殴れよ、俺は三島を殴りに来たんだよ」などというヤジが

          飛ぶと、芥は「遠くからそんなこと言わずここに来い!」と

          壇上に招きます。そのヤジの主の話にも耳を傾ける

          三島由紀夫に姿には感動したというか、ヤジにヤジで返

          すような下劣な姿を晒さない人間であると実感しました。

           

          三島由紀夫
          出典:youtube

           

          この討論の最中、ほとんどの学生が煙草をくゆらせている

          わけです。そしてショートホープを2箱持っていた芥は

          すべて吸い尽くしてしまうと、三島由紀夫は4箱持っていた

          ショートホープの1箱を彼に渡します。思想、信条は

          ほとんど重なる部分はないし、芥のシニカルな質問に

          イラついていたかもしれないのに、あくまでも

          「相手への敬意」を忘れない姿にも驚きます。その芥も今でも
          「三島には1箱借りがあるんだ」と語るほどです。

          三島由紀夫は「あやふやな日本」を嫌い、神聖な天皇へ仕える

          ことを心底考え、その後1970年、11月25日、

          自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊員を前に演説した後、割腹自殺を

          遂げました。この経緯は
          「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(2012)

          で若松孝二監督が丁寧に描いています。
          一方万博直後の日本では極左の連合赤軍が1972年に

          あさま山荘事件を起こしています。これについても

          「突入せよ!あさま山荘事件」(2005)と

          「実録 連合赤軍あさま山荘への道程」(2008)
          を見比べてほしいです。

          あさま山荘事件後、全共闘は敗北へと向かいます。2000年に

          国際指名手配されていた連合赤軍の最高幹部、重信房子が

          大阪で逮捕された時に、誇らしげに手錠を掲げた彼女の風貌と

          それに拍手や歓声を送る人々の姿が、すでに過去の人物に

          なっていることを物語っていました。
          しかし世界を変えようとした学生たちの熱情とそれに対し敬意を

          払った三島由紀夫の姿は、決して同じ思想ではないけれど、

          人間として本来あるべき姿なのではないかと考えています。

           

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ

           

           


          誰がハマーショルドを殺したか

          4

           

          誰がハマーショルドを殺したか

          出典:IMDb

           

          「誰がハマーショルドを殺したか」

          原題:Cold Case Hammarskjold

          監督:マッツ・ブリュガー

          2019年 スウェーデン=デンマーク=ノルウェー

          =ベルギー映画 123分

          キャスト:マッツ・ブリュガー

               ヨーラン・ビョークダール

           

          1961年、9月18日、コンゴ動乱調停のため、

          チャーター機で現地に向かった国連事務総長

          ハマーショルドはローデシア(現ザンビア)で墜落事故に遭い、

          彼と乗員全員が死亡する。原因不明の事故とされきたこの事実

          についてジャーナリストのマッツ・ブリュガーと調査員

          ヨーラン・ビョークダールは「暗殺説」のうわさを基に調査を

          開始するが、そこには大きな闇が隠されていた。


          <お勧め星>☆☆☆☆ 途中から単なるドキュメンタリーで

          なくなりサスペンス映画のように感じられます。


          アフリカの扱い


          ダグ・ハマーショルドといっても全く記憶になく、この映画を

          見て彼の功績を知った次第です。国際連合広報センターの

          情報によると「事務総長在任中、ハマーショルド氏は戦争回避に

          尽力し、国連憲章に定める目的を遂行する中で国連に与えられた

          様々な責務を遂行しました。」とのこと。映画内でも彼が

          事務総長時代に成し遂げた事柄が幾つか紹介されます。

          その中で監督であるブリュガーが目を留めたのは
          ハマーショルドが「アフリカの国を守ること」を強く主張し、

          国連に加盟している旧植民地国を敵に回したことでした。搭乗機が

          墜落した際に向かっていたのはコンゴであり、コンゴの動乱を解決
          するためにコンゴから独立を主張するカタンガ州の

          モイーズ・チョンベと和解の話し合いをするためでした。コンゴは

          元ベルギー領であり、そのベルギーに後押しされていたのが

          チョンべです。詳しく調べていくと結局米ソの代理戦争であり、

          冷戦時代の象徴的な戦争の1つであったようです。そもそも

          コンゴには鉄鉱石が豊富にあり、ベルギーがその巨大鉱山会社を

          所有していて、コンゴとして独立した後もその豊富な資源による

          資金で傭兵を持っていたのがチョンべだったのです。

           

          誰がハマーショルドを殺したか
          出典:IMDb

           

          映画はこのハマーショルドの事故を「暗殺」と仮定し、その証拠

          集めに向かった場所での出来事をアフリカ系の女性2人がタイプ

          していくというスタイルで進みます。したがって時系列はバラバラ

          であり、2018年南アフリカ、コンゴの後で、ハマーショルドの

          チャーター機の墜落の軌跡が絵で描かれ、そして2017年

          ザンビア(旧ローデシア)のンドラへと変わります。ンドラは

          チャーター機が墜落した場所であり、ブリュガーとヨーランは、

          金属探知機とヘルメット、スコップでその残骸を探し出そうと計画

          するのです。

           

          誰がハマーショルドを殺したか

          出典:IMDb

           

          なぜ「暗殺」という仮定をしたかは、ヨーランの父がこの地点で

          飛行機の残骸らしき鉄板を発見していて、そこに小さな穴が

          幾つも空いておりそれが銃撃の跡のように思われたことと、墜落の

          様子を見ていた現地の人たちが、

          「何かが接近して突然飛行機が火を噴き落ちて行った」
          と証言したからです。当時黒人の証言など全く信用されず、逆に

          証言することは自らの身を危険にさらすことになったのだ、と

          ブリュガーは語ります。さらに当時に管制官マーティンは、墜落

          現場のそばにいたのに、「何も見ていない」と言い、管制メモが

          墜落前後のみ書き直されていることも極めて不可思議な事実です。
          そしてアメリカ国家安全保障局(NSA)の元職員の証言

          「ベルギーの傭兵がチャーター機を銃撃し、墜落させる声を聞いた」

          という話が出てくると、にわかにこの「暗殺」説は真実味を帯びて

          きます。
          またハマーショルド以外の遺体は黒焦げでバラバラだったのに、

          彼だけはほぼ無傷で首のあたりにトランプのスペードのカードが

          挟まれていたという事実も謎を呼びます。実際2013年9月には
          オランダで調査結果を発表し、ハマーショルドの遺体に関する

          証拠の精査を求め始めるのです。ところがNSAは証言はあるが

          国家機密の関わるため非公開と答えます。この辺りまでは

          あくまでもドキュメンタリーとして感じられるのですが、これ以降の

          内容は、はて、こんなことが本当に起きていたのだろうかと

          思うことばかりで、まるで「世にも奇妙な物語」的に変わっていく

          のです。
          ブリュガーが最初から着用している真っ白な上下の服は「サイマー」

          という南アフリカ海洋研究所の職員の制服で、その「サイマー」が

          実はこの暗殺計画を立て実行したということです。そこまでは
          まだ理解できますが、このサイマーの准将だったマクスウェルは

          医師でもないのにアパルトヘイト下の南アフリカの黒人居住区で

          無料診療所を幾つも持っていて、そこで黒人に何かを注射していた
          という話になり、それがどうやら「エイズウィルス」で「黒人の根絶」

          のためにエイズをアフリカ各地に拡散させていたとなってくると、

          当初のハマーショルド暗殺の話とはかなりズレてくるのです。
          とはいえ、「サイマー」という組織の存在は、重い口を開いた人たち

          の証言や殺害された人、消息を絶った人などのその理由などを想像

          すると、実際に存在していたかのようにも思えます。その財源は
          外国からのもので、敵国を揺るがす行為を内密で行う実行機関と

          いうわけです。現在ロシアが関わったとされる幾つもの暗殺事件、

          暗殺未遂事件が報道されますが、世界にはこのような組織は絶対に
          存在していて、その実態を知っている者はごくわずかなんだろうと

          素人は考えてしまうのは当然です。
          結局ハマーショルドの事故について新しい事実が分かったわけでも

          なく、真相が判明したわけでもないのですが、世界における貧富の

          格差の根本がなんであるか、またそれを正そうとする人々が
          国際組織にいるのか、極めて疑問に思わせる映画でした。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ


          海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜

          3

           

          海は燃えている

          出典:IMDb

           

          「海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜」

          原題:Fuocoammare/Fire at Sea

          監督:ジャンフランコ・ロージ

          2016年 イタリア=フランス映画 114分

           

          イタリア南部の島、ランペドゥーサ。島民は昔ながらの漁で

          生計を立て、12歳のサムエルは、友人とパチンコを作ったり、

          石投げをしたり自由に遊びまわっている。その一方でこの島

          にはアフリカなどからの難民が押し寄せており、彼らを救助し、

          保護し、治療にあたる多くの人々も存在していた。


          <お勧め星>☆☆☆☆ のどかな島民の姿と同じ場所で生死の

          境に置かれた人々の姿が対照的に描かれています。


          救うのが人間の務め


          この映画は2016年、第66回ベルリン国際映画賞、金熊賞を

          受賞したドキュメンタリー作品です。舞台になっているのは

          イタリアの南部に位置するランペドゥーサ島で場所はこの辺り。

           

          海は燃えている
          出典:Google 

           

          まず字幕で、この島には20年間で40万人の難民が上陸し、

          上陸前のシチリア海峡では15000人ができ死していると

          流れます。これはあくまでも推測された数であり、実際には

          もっと多く亡くなっているはずです。難民と言ってもその経緯は

          様々ですが、映画内に登場するアフリカ系や中東系の人々は、

          故郷が内戦にみまわれたり、イスラム過激派から逃れてきたり

          しながら、あちこちを転々としてようやくこの地までたどり着いた
          者ばかりです。「そうだ、難民しよう」だの「武装難民」だの

          軽々しく口にする前に少し知識を持ってほしい。彼らは決して

          故郷を捨てたくなかったけれど、そこにいられなくなってしまった

          人が大半です。

           

          海は燃えている
          出典:IMDb

           

          そしてこの島で暮らす一人の少年、サムエルが映ります。彼の本当に

          ありふれた日常が淡々と描かれていくのです。12歳のサムエルは

          友達とパチンコ作りをし、石を投げて遊ぶごくごく普通の子ども
          の生活を送っています。彼は祖父母?と暮らしていますが、それに

          ついての説明はありません。食事の支度をしながら流れるニュースで

          「難民がシチリア沖で難破し、かなり亡くなった」というのを聞き

          ながら祖母は「ひどいことね」と言いつつ食事の支度を続けます。

          その出来事が自分の島の周りで起きているということと結びつかない

          のです。
          一方難民を保護し、診察をしている医師は、双子を妊娠している女性の

          MRI画像を見ながら「通訳がいればいいのにな」と言いながらも

          しっかり彼女に説明をします。この医師は島に一人しかいないの

          でしょうか。サムエルの目の診察もし、彼の左目が弱視であるから

          治療しようと普通の医師行為も行うのです。それでいて、難民が上陸

          する際の健康チェックから遺体の検分作業まで行うのです。彼は語ります。
          「いくつも検分したら慣れるだろうと聞かれるが、それはない。子供や

          妊婦の遺体を見るたびに心が痛む」と。
          映画はそれを映したかと思うと島民の日常に変わります。サムエルが

          友達とパチンコでサボテンを撃つ行為を映したり、素潜りをして

          海産物を獲る男性を見せていきます。

           

          海は燃えている

          出典:IMDb

           

          この島では日常と非日常が同時に起こっていることがわかるのです。

          ところがお互いに気づくことはありません。なぜなら難民はすぐに

          隔離されるので普通の島民がその姿を見ることはないのです。
          ナイジェリアからサハラ砂漠を越え、リビアに着いて刑務所に

          入れられた後、海に出て自由を得た、とラップで歌うアフリカ系の

          男性の言葉は、彼らの過酷な過去とこれから先につきまとう不安を

          印象付けます。飢え、乾き、暴力、溺れる。あらゆる拷問のような

          体験を受けてきた人々ばかりなのです。
          サムエルはそんなことを想像することもなく、島に生まれたからには

          漁師として一人前にならなくてはいけないと船酔い克服訓練を受けます。

          彼はボートの上で船酔いで戻してしまうのですが、その海では多くの

          難民が命を亡くしており、救助されても極度の脱水で瀕死の状態の者が

          たくさんいるのです。そもそも溺死した人たちが数えきれないほど

          いる海です。しかし島民はこの海を生活の糧とし、この海と共存する

          生活をずっと続けているのです。
          映画内でラジオ番組に電話リクエストするシーンが数回流れ、その中の

          1曲が「海の炎」。それはリクエストした女性の祖父が乗っていた船が

          夜に放つ光がまるで炎のようだったからだと語ります。
          それが今では、難民を乗せた船を捜すヘリコプターや救助船のライト

          ばかり見られるのです。もちろんやはり普通の島民は実情をほとんど

          知りません。ところがその両方を知っている人物がいるんです。それが

          難民を診察したり検分したりするサムエルの主治医です。この日常と

          非日常を(今やどちらも日常かもしれない)彼自身が心の中でどう消化

          しているのか、いや消化できるはずもありません。どちらもほぼ

          半永久的に続いていくであろうものなのですから。

           

          海は燃えている
          出典:IMDb

           

          医師が見せる難民の乗った船の姿はあふれんばかりの人で埋め尽くされ、

          それでも外気を据える人は1等で1500ドル、床あたりにいる人が

          2等で1000ドル、そして船倉にいるのが3等で800ドルを支払って

          いるそうです。3等の人々は船のオイルにまみれ、暑さと渇きにひたすら

          耐え続けるのです。映画のラスト付近に多くの遺体が積み重なった

          シーンが流れます。また救助されても瀕死の人、殴られ血の涙を流す人、

          心が壊れてしまった女性なども映り、彼らを救う術はないものかと

          考え込んでしまうのです。
          この映画が2016年製作で、新型コロナ流行のこの時期に、今どんな

          状況にあるのかどこかで報道すべきことではないのでしょうか。
          ラストシーンは弱視克服用の眼鏡をかけたサムエルが、小鳥と会話する

          もので、少しだけ心が安らぎます。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ

           

           


          娘は戦場で生まれた

          4

          娘は戦場で生まれた

          出典:IMDb

           

          「娘は戦場で生まれた」

          原題:For Sama

          監督:ワアド・アル・カデブ

             エドワード・ワッツ

          2019年 イギリス映画 100分

           

          2016年、シリアと同盟国はアレッポを包囲し、ロシア

          戦闘機の絶え間ない攻撃が始まる。医師のハムザと結婚し、

          娘をもうけたワアドは、ここで起きていることもすべて

          撮影していくのだった。


          <お勧め星>☆☆☆☆半 これが今まさに起きていること

          なのだと多くの人に知ってほしい。


          生まれた時から戦争ばかり


          この映画は劇場で観たいと思いつつ上映館が限られていたのと、

          コロナ関係で上映期間が短く行くことができませんでした。

          「ラッカは静かに虐殺されている」(2017)も同じ

          シリア内戦を描いており、それは劇場で鑑賞し、観終わった時は

          しばらく席を立てなかったです。これが現実に起きていることで、

          それを世界に発信することに命を懸ける人々の姿があまりにも

          崇高に思えました。
          映画は時間軸がバラバラながらその時々にワアドがどう行動したか、

          自らの口で語りながら映像が流れていきます。10年前、まだ

          シリアで内戦が起きておらず、自由を謳歌していたワアドは、

          アレッポ大学に入学し、学校生活などを撮影し始めるのです。彼女の

          母親によると、彼女は頑固で、それが長所でもあり、短所でもある

          らしい。

           

          娘は戦場で生まれた
          出典:IMDb

           

          次のシーンでは、病院内となり、外で戦車の砲弾の音が鳴り響き、

          そして爆撃を受けて、停電、サマというワアドの娘の姿を探し

          続けるワアドのカメラ映像と変わります。手持ちカメラのブレた

          映像でその時の緊迫感が強く伝わってきます。
          2016年、7月。シリアと同盟国はアレッポの包囲を開始します。

          ひっきりなしに聞こえるロシア戦闘機とその爆撃音の後、病院には

          幼い子供がどんどん運び込まれるのです。3兄弟で家の外で遊んで

          いたのに空爆により、弟が亡くなってしまった兄弟は、砂ぼこりに

          まみれ、唇を震わせながら、ひたすら涙を流し続けます。しかし

          医師はその子供の遺体をブルーの紙に包み、次の怪我人への
          治療にあたるのです。ベッドにも床にも待合の椅子にも怪我人が

          あふれかえり、さらに次々と運び込まれる怪我人の対応をするしか

          ないのです。
          話は遡り5年前の2012年、4月アレッポ大で大規模なデモが

          起きます。それは40年以上続くアサド独裁政権の腐敗政治への

          民衆の不満が爆発した形ですが、「アサド政権に弾圧されていた

          スンニ派の人々がアラブの春に呼応し、行動を起こしたことが

          きっかけで長く続く内戦へと発展した」

          (出典:外務省「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢」)と

          言われています。ワアドは、この反体制活動に夢中で、革命に

          よって民主化ができると信じて疑わなかったのです。このよく

          見られるデモが一変するのは、2013年、1月、川で数多くの

          遺体が発見されたことからで、彼らは政権反対地域の住民であり、

          誰もが拷問され、頭を撃ち抜かれて川に捨てられていました。その

          映像もワアドは撮り続けます。これは政権側の「警告」であったの

          です。

           

          娘は戦場で生まれた
          出典:IMDb

           

          一方爆撃で負傷した市民の治療にあたっているハムザ医師は、当時は

          既婚者であり、国外に逃げる妻よりも国内で革命を支持する方を

          選んだのです。またワアドは実家に戻るように言う家族よりここに
          残って革命を支持することを選びました。それが正しい選択だった

          どうかは誰にも判断できません。その時の二人の決心をあとから

          変えることはできないのです。
          ハムザは東アレッポに残った32人の医師のうちの一人で、リーダーと

          して活動し、爆撃対象にならないように地図に載っていない建物を

          病院として活用しようと考えます。この時に一緒に行動した建築学

          専門のオマールと医学生だったガイスとハムザは、砲撃音の鳴り響く中、

          病院オープンを喜び合いますが、この二人はその後爆撃で命を

          落としているというワアドのナレーションに息をのみます。
          死と隣り合わせの現場で、命を救うことへの意義は、たとえ仲間を

          失ったとしても、消えるものではないのです。この映画では子供の

          死が幾つも映し出され、兵士でも何でもない、一般市民であり反体制派か

          どうかも理解していない幼い子供の命がこんなにも多く失われている

          ことに、世界の人々はもっと目を向けてほしいと実感します。
          そしてハムザの「一緒に歩こう」というプロポーズを受けて、ワアドは

          彼と結婚するのです。
          2016年、9月、包囲から3か月後には樽爆弾がヘリから落とされます。

          (樽爆弾とは、石油の樽のような燃料容器やガスボンベに金属片、燃料、

          爆薬などを詰めた爆弾であり、ヘリコプターで上空から落とされる。

          Newaweek 日本版より)

          この時も多くの負傷した市民が病院に運び込まれるのです。
          1年前の2015年、3月は反体制組織化のアレッポは自由であり、

          ハムザとワアドは家を購入し、第一子を妊娠します。この幸せがあっと

          いう間に崩れ去るとは思ってもいなかったことでしょう。

          この反体制地域をイスラム過激派が支配し始めたことで状況は一変する

          のです。政権軍の攻撃で、新居は破壊され、植えてあった花や木は

          押しつぶされてしまいます。それでもまたここに花を咲かせるように
          とハムザは水をかけていくのです。そのかすかな希望は、サマという娘を

          出産したことで大きなものへと変わっていきます。

           

          娘は戦場で生まれた

          出典:IMDb

           

          彼女のために新しい世界を見せないといけないと。
          2016年10月、包囲から4か月が経ってもそこに残っている

          住民たちは、不自由な生活の中で喜びを見つけていきます。爆撃で

          壊された建物の脇でチェスに興じ、地面に空いた大きな穴に水が
          たまっていれば、子供たちの水遊び場になるのです。

           

          娘は戦場で生まれた

          出典:IMDb

           

          燃えたバスに自由な色のペンキを塗ったり、運転手気取りの少年も

          映ります。
          妊娠9か月の女性が爆撃で怪我をし、帝王切開で子供を取り上げた時、

          その子供はまるで蝋人形のようなんです。しかし医師たちが必死で

          蘇生措置を施すと、少しずつ目を開き、遂に産声を上げるんです。
          この母子はどちらも命が助かりました。
          しかし2016年、2月にはロシアの空爆によって病院が攻撃され、

          53人死亡してるのです。また包囲網により物資が不足し、食糧難

          にも陥ります。ワアドたちの親友アフラー、ザレム夫妻の息子は
          「砲撃があってもここに残る」とはっきり言います。彼の友人たちは

          一家で国外に脱出したか命を落としたかなのに。その後で彼は涙が

          止まらなくなるんです。彼の日常はなぜ奪われなければならなかった

          のかそれを常に考えていることがわかります。故郷であるこの地が

          大好きなんです。
          ある時ハムザとワアド夫妻はサマを連れてトルコにいる親の元へ向かい

          ます。そしてせめてサマだけでもトルコに置いていくように言う

          親たちを振り切って、危険な中アレッポに戻ります。ワアドも言うように
          サマは生まれた日から戦争ばかりなのです。青空とか自然光とか外遊び

          とか、普通にできることを一切したことがないのです。
          病院は激しい空爆や塩素ガスなどの攻撃で負傷した市民であふれかえり、

          断水し、いたるところに遺体が置かれている有様です。その姿を誰が

          国外に発信できるのか。そこにジャーナリストは存在しません。
          「助けて」のメッセージも国連からの「ロシア軍に投降するように」

          という伝言が戻ってきたのみでした。
          結局彼らは全員この地を去ることになりますが、ハムザが包囲網の中

          治療した人は6000人、そして最後の20日間で手術したのは840件

          にのぼると語っています。在英シリア人権監視団によればこの内戦での

          死者は38万人以上、そのうちの11万人が民間人とのこと。遠くの

          出来事と考えず、救えるはずの命をできる限り救えるように、もっと

          関心を持ってほしいと思うばかりです。そもそも内戦はいつ終わるのか。

           

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ

           


          世界で一番貧しい大統領 愛と闘争の男 ホセ・ムヒカ

          4

           

          世界で一番貧しい大統領

          出典:IMDb

           

          「世界で一番貧しい大統領 愛と闘争の男 ホセ・ムヒカ」

          原題:El Pepe,Una Vida Suprema

          監督:エミール・クストリッツァ

          2018年 ウルグアイ映画 74分

           

          2015年3月1日。ホセ・ムヒカ大統領最後の日、彼は

          熱狂的な民衆を前に自らの胸の内を語る。ムヒカの人柄に

          惹かれ2014年から彼を撮影し続けたクリストリッツァは、

          その瞬間までカメラを回し、ムヒカの魅力を伝え続けるの

          だった。


          <お勧め星>☆☆☆☆ 本当にこんな大統領が存在したのだと

          思ってしまう。


          必要なものは命を愛するための投資


          ウルグアイという国についての知識と言ったら、南米に存在し、

          サッカーが強い程度のもので、この映画を見た後あれこれ

          調べる始末です。この映画の主人公は2010年〜2015年

          まで大統領であったホセ・ムヒカであり、彼に対して

          「世界でただ1人腐敗していない政治家だ」と直感し、

          2014年から撮影し続けたのが監督エミール・クストリッツァ

          です。
          1950年頃までは南米のスイスと言われ、南米で唯一の

          福祉国家だったウルグアイも、経済の停滞とともに政情は次第に

          不安定になっていきます。1962年にはチェ・ゲバラの影響を

          受けたセンディックたちにより武力による社会主義革命を目指す

          都市ゲリラ、トゥパマロスが結成されます。ムヒカはその

          メンバーだったのです。映画内で彼と行動を共にした人々が

          幾人か登場しますが、いずれも投獄経験があり、

          「ウルグアイすべての刑務所を知っている」

          と語るものも存在するのです。映画はムヒカが大統領として最後の

          演説を行う日の姿とかつて起こした幾つもの事件を写真や映像で

          追っていきます。

           

          世界で一番貧しい大統領
          出典:IMDb

           

          また一方で自らトラクターに乗り、農作物を作り、愛犬を

          可愛がるごく普通の庶民の生活を送る彼の姿も映します。
          ムヒカの妻ルシアも投獄経験があり、その活動の中で知り合い、

          二人で過ごし始めたのです。

           

          世界で一番貧しい大統領

          出典:IMDb

           

          大統領時代から私財はすべて財団に寄付し、極貧家庭へ家を与え、

          学校を作り、子供たちに作物を育てる手法を教えるという、

          その場しのぎではなく、将来に向けての自立を促す活動を行って

          きました。
          しかしトゥパマロス時代は、決して非暴力主義だとか法を

          犯さないとかいう手法ではなく、「接収」と呼ぶ富裕層から

          盗んだものを貧困層に渡す行為が主体でした。そこには当然

          銃器が存在し、ムヒカも体中に銃弾を受け、脾臓がないと語ります。

          銀行襲撃、偽装葬儀などでファシスト(ターゲットはアメリカ)

          と戦い、彼らは幾度も投獄され、さらに集団脱獄し、そして

          再び捕まるという状況で、その政治犯としての独房時代の経験が

          今の自分を形成していると語るのです。
          社会主義は難しい、とムヒカが語るように、「分かち合う」と

          いう考えは、すべての人々に受け入れられるものではありません。

          映画内でもある老人に

          「ウルグアイをダメにした!」

          と責められるシーンがあります。自分の能力で得た富を見返りも

          なく貧困層に分け与えるということは、「不公平」と受け止められる

          かもしれません。しかし極貧層がそこから抜け出す術は誰かが

          そのきっかけを与えなければ永遠に極貧から抜け出せません。

          一方で、いわゆる富裕層は幾らでもその富を増やしていく手段を

          持っています。
          ムヒカが大統領だった時代、貧困率は39%から11%に減り、

          極貧率は5%から0.5%にまで減少しました。この数字だけでも

          驚くべきものです。
          ムヒカと妻ルシアの間には子供がおらず、それだけが残念だと何度も

          語ります。しかし同じ信念で結ばれた二人のきずなの強さも感じる

          のです。共和国では大統領は国民と同じ生活をすべきと語り、
          ムヒカは就任時に着用したスーツを退任時にも着用します。普段は

          その辺にいる農夫と同じ格好で生活しているのです。
          当初極左ゲリラであったトゥパマロスも軍政から民政に移行する際、

          合法的な政治団体と変わり、ムヒカもかつてのような武力による

          活動でなく、政治的活動を通して下院議員となり大統領にまで上り

          詰めたのです。

           

          世界で一番貧しい大統領
          出典:IMDb

           

          映画内でしばしば登場するムヒカの愛車である1987年製

          フォルクスワーゲン・タイプ1は、彼の人懐こい瞳と丸い体を

          そのまま表しているかのように感じられます。
          派手なパフォーマンスが好きなだけである、バラマキ政策だと

          野党から批判されているなどと報じている週刊誌もありますが、

          退任の日のあの民衆の歓迎ぶりを見ると、すべての人が彼を

          受け入れたわけではないけれど、彼によって救われた多くの

          人々が存在したことを実感します。
          彼は「利己主義ではなく連帯意識へ」と語ります。それは

          ややもすると見なかったことにしてしまう弱い立場の人々へ

          少しでも関心を持つことの重要さにも繋がっていると私は思って

          います。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ


          さよならテレビ

          4

          JUGEMテーマ:邦画

           

          さよならテレビ

          出典:youtube

           

          「さよならテレビ」

          監督:土方宏史

          2018年 日本映画 109分

           

          東海テレビのディレクター土方は、自社の報道局内に

          カメラを向け、3人のテレビマンを中心に報道の現場を

          映していく。


          <お勧め星>☆☆☆☆ テレビを通して見ている報道が

          どのように作られ、どのように編集されているのか、素人が

          初めて知ることばかりでした。


          絶対的な客観性は存在しない


          「報道の使命」
          1、事件、事故、政治、災害を知らせる
          2、困っている人(弱者)を助ける
          3、権力を監視する
          この映画内で幾度となく映し出される文字です。そして

          職場見学に訪れた小学生に報道局長が、この3つを中心に

          丁寧に講義をしています。この3つをしっかり頭に入れて

          おこう。

           

          さよならテレビ
          出典:youtube

           

          映画は冒頭から「カメラを回すな!」という現場の人物からの

          怒号が飛び、製作自体にかなり苦労したのだと感じられます。

           

          さよならテレビ
          出典:youtube

           

          主要人物は3人で、1人は、夕方の報道番組のメインキャスターを

          務める福島アナウンサー。実家が東海地方ということもあり、

          なんとなく見たことがあるような記憶のある人物です。彼は常に

          メモを読み上げており、アドリブのない、そして間違い1つ

          犯さないような几帳面さがあるものの、反面、彼自身の個性が

          出し切れていないという難点があるのです。

          「あの子、いちいちメモを読んでいるのよね」
          という現場スタッフの辛辣な言葉も耳に入ってきます。そんな

          福島の顔をなぜ記憶していたのかというと、ある問題テロップを

          流してしまった番組のキャスターを務めていて、その動画を何度も
          見たからだと知ったのは、この映画でそのシーンが流れた時です。

          彼に責任はないけれど、その番組のキャスターであれば、視聴者は、

          彼への攻撃をするし、ネット上には半永久的にその動画が残り続けます。
          この身内の恥を、その局が再び映し、年に一度

          「放送倫理を考える全社集会」を行っているということは、たった

          1つのテロップが、番組打ち切り、ひいては局への信頼失墜に

          つながったことを物語るのです。

           

          さよならテレビ
          出典:youtube

           

          2人目はジャーナリズムを深く学び、常に問題意識を持って

          仕事に取り組んでいるものの、契約社員という不安定な立場に

          いる澤村です。Zネタと呼ばれる、スポンサー絡みの話題にも、

          仕事と割り切って抵抗なく取り組みつつ、報道の現場において

          問題意識が希薄であることに怒りを覚えていることが、彼の

          1つ1つの表情や言葉から伝わってくるのです。視聴率に

          一喜一憂し、スポンサーの顔色を伺い、時間外労働を減らそうと

          指示を出しながら、人員は増えない。また同じネタを繰り返し

          報道するより、他局を出し抜いた新ネタの方が視聴者が飛びつく、

          という現実もカメラは映します。
          澤村を通じて、ジャーナリズムの本質は何かを語っているものの、

          理想と現実は必ずしも一致しないということが伝わってくるのです。

           

          さよならテレビ
          出典:youtube

           

          3人目は新人の派遣社員、渡邊です。一目でドン臭いとわかって

          しまう風貌は、そのまま仕事にも表れ、次々とヘマをしでかして

          いきます。彼がアイドルオタクであり、住んでいる家が「若者の貧困」
          を絵に描いたような状況なのもできすぎ感がある気がしました。

          アイドルの握手会に行って

          「いつかキミを番組に使ってあげられるように頑張るよ」

          という彼の言葉に悲壮感を覚えるのは見ている方だけでしょう。
          しかし映画がなんとなくうまいことまとまって終わろうとした時、

          様々な映像が繰り出されていきます。それを見ると思わず息をのむの

          です。ドキュメンタリーとして事実をただ並べたのではなく、監督が

          意図した通りに真実を構成していったことに気づかされるからです。

          あれもこれも...。
          見終わって本当に驚きました。そして自分たちが知ろうとしないと、

          そして問題意識を持たないと、あらゆることが知らないうちに自分の

          頭に取り込まれ、それが正しくない方向に向かっていることに
          気づかなくなっていることを実感します。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 映画ブログへ 人気ブログランキングへ


          ラッカは静かに虐殺されている

          4

          JUGEMテーマ:洋画

           

          ラッカは静かに虐殺されている

           

          「ラッカは静かに虐殺されている」

          原題:City of Ghosts

          監督:マシュー・ハイネマン

          2017年 アメリカ映画 92分

           

          ISによって占領され一方的に首都と宣言されたラッカか

          ら、市内の状況をスマホで撮影し、全世界に向けて発信

          するRBSSのメンバーは、その活動によって自分の命だけ

          でなく、家族の命をも狙われれている。彼らが発信する

          ラッカの状況は言葉を失うほどのものであった。


          <お勧め星>☆☆☆☆ この事実をできるだけ多くの人が

          知ってほしい。関心を持ってほしい。


          ユーフラテスの花嫁と言われた街並み


          RBSS(Raqqa is Being Slaughtered Silently)という市民

          ジャーナリスト集団は、元は普通の能天気な大学生や数学

          教師など特に政治に関心もなく、美しく穏やかな都市

          ラッカで暮らしていた人々ばかりなのです。それがまず

          「アラブの春」から始まったシリアの内戦により、
          アサド政権率いる政府軍と複数の反体制武装勢力がラッカを

          巡り戦闘を繰り広げたことで街の様子は一変します。

          反政府勢力=シリアの民主化を望む人々、以外にシリア政府

          がこのラッカを重要視していなかったことに乗じて、ISが

          街を襲撃し、遂に首都と宣言するのです。

           

          ラッカは静かに虐殺されている

           

          そこからRBSSがISによって厳しく情報統制された中で、

          ラッカの状況を発信する活動が始まったのです。ISといえば、

          日本人も誘拐され、公開斬首される動画も流されました。

          今なお拘束されていると言われるジャーナリストも存在します。

          他にも世界各地で起きる無差別テロは、ISの指示もしくは

          その思想に感化された者によると言われています。
          ISはラッカを首都と宣言した後、この街が美しく、平和で

          物が豊富にあるかのような動画を作成したり、戦闘員勧誘の

          ためにアクション映画さながらの宣伝動画を流していました。

          その出来栄えから、メンバーの中に映像技術に秀でたものが

          多く存在し、また情報発信、統制のためにインターネットを

          活用する能力にも優れた者が多くいると言われていました。

          それは映画内で、RBSSの国内メンバーがラップトップに保存

          した映像を捜し出されてISにより拷問、殺害されたことからも

          伺えます。

           

          ラッカは静かに虐殺されている
           

          国内で身を潜めてラッカの状況を伝え映像を送る者、ドイツや

          トルコの隠れ家でそれを受信し、世界に発信する者と分かれる

          わけですが、トルコにいるメンバーが射殺されたり、国内に

          残っていたRBSSのメンバーの家族がISによって拘束、殺害

          されるなど、メンバーが死と恐怖と隣り合わせであることが

          わかります。新聞などで読んではいたけれど、ここまで脅迫が

          続いていたということは映画を観て初めて知りました。隠れ家

          を転々とし、父や兄が射殺される動画がネット上にアップされ

          てもそれでも活動を続ける彼らの使命感はどこから沸き上がるの

          でしょうか。
          ドイツ国内でも移民に対し排斥運動が高まり、自国だけでなく、

          どこに行っても安全な場所がないのです。冒頭に語られていた、

          何も考えず遊びまわっていた大学生が、いかにしてこのように

          変貌していったのか、手に取るようにわかります。
          彼らには、ラッカでの出来事が世界から忘れられないために、

          そしてそれが過去のことではなく、現在進行形であるという

          ことを伝え続けていくという使命感に燃えていると思うのです。
          ISの首都ラッカが陥落したとはいえ、アサド政権による東グータへ

          の凄まじい攻撃と多数の民間人の犠牲者について、日本では

          ほとんど報道されないということは驚くばかりです。数名の

          戦闘員を倒すために数百人の市民を犠牲にするケースや医療

          従事者への攻撃も行われています。
          ISの支配下にあった時期、幼い子供がぬいぐるみの人形の首を

          斧のようなもので切り落とし、親から褒められて得意げになって

          いる姿は目に焼き付いて離れません。たくさん思いを抱きましたが、
          まずこの事実について知ってほしい、映画を観終わってからは

          そればかり考えて過ごしています。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ


          チリの闘い

          3

          JUGEMテーマ:映画

           

           

          チリの闘い

           

          「チリの闘い」

          原題:La batalla de Chile

          監督」パトリシオ・グスマン

          1975年 チリ=フランス=キュバー映画 263分

           

          東西冷戦下の70年代、チリでは社会主義のアジェンダ政権が

          民主的選挙で誕生する。しかしアメリカの支援を受けて

          数々の妨害工作が行われ、遂には軍事クーデターによって

          その政権は崩壊するのだった。

           

          <お勧め星>☆☆☆☆ 三部作に分かれており長さも気に

          ならない面白さ。

           

          歴史はわれわれのもの

           

          チリはどこにあるんだろう?名前を聞くことはあっても漠然と

          「南米のどこかの国」程度にしか思えません。地図では

          この辺りになります。

           

          チリの闘い

           

          日本から遠いですね。
          この映画は全編263分あり、第一部「ブルジョワジーの叛乱」、

          第二部「クーデター」、第三部「民衆の力」と分けて描かれた

          ドキュメンタリーフィルムの編集なのです。

           

          チリの闘い


          第一部は大統領宮殿が空爆されるシーンから始まります。

          これは1970年に民主的な選挙で選ばれたアジェンデ大統領の

          最期であることは一目瞭然です。ここからは人民連合政権

          (1970〜73)の末期の困難に満ちた様を映し出していくのです。
          1959年のキューバ革命後、南米各地で起こった混乱は、米国への

          脅威にほかならないわけで、特にベトナム戦争で敗北しつつあった

          時期に誕生したチリのアジェンデ政権は、なんとしても潰したい

          存在になっていたのです。
          チリ国内の野党にあたるキリスト教民主党など右派は、アメリカの

          援助を受け、ありとあらゆる方法で政権への打撃を試みるのです。

          労働者の権利でもあるストライキまでも利用する。そして第一部の

          終了間際に軍部によるクーデター未遂が起こり、その時の銃弾に

          倒れたカメラマンの映像が第二部の冒頭にも使われます。

           

          チリの闘い

           

          「知らなかったかもしれない」ことが、この映像によって

          「実在したことと知ることができた」瞬間です。

          そして第二部は冒頭の大統領宮殿破壊の映像で終わります。

          その後始まる第三部は、ほとばしるほどのエネルギーを

          見せつける民衆の姿が工場で、農場で、街頭で見られるのです。

          それはアジェンデ政権がもたらした社会主義国家への道のりを

          国民自らの手で作り上げていく姿であり、与えられたものに

          従うにではなく、各々が考え行動する姿になっています。

          そこにはこの政権下での社会への希望に満ちたものばか

          りではなく、激しく討論する姿も見受けられます。
          三部作がそれぞれ終了するたびに

          「撮影者 ホルヘ・ミューラー・シルバの思い出に」

          とクレジットが出ます。購入したパンフレットを読むと、

          彼はグスマン監督とともに活動した「三年目」のメンバーの

          一人で「左翼革命運動(MIR)」に属していた人で、恋人と

          共に軍事政権ピノチェトの秘密警察DINAに捕らえられ

          行方不明になったと知ります。
          歴史を正しく伝えることの難しさを体感する映画でした。

          ぜひともこのフィルムを国外に持ち出すことにどれだけ

          困難を極めたか、そしてこのフィルムが存在したことで

          「事実」を知ることができたことの意味を考えてほしいと

          思います。

           

          ブログランキング・にほんブログ村へ
          にほんブログ村  人気ブログランキングへ

           

           


          1

          PR

          カレンダー

          S M T W T F S
               12
          3456789
          10111213141516
          17181920212223
          24252627282930
          31      
          << March 2024 >>

          ブログランキング

          今日のわんこ

          powered by 撮影スタジオ.jp

          アマゾン

          遊びにきてくれてありがとう!

          カウンター

          死語レッスン

          最新記事

          categories

          過去の記事

          コメントありがとうございます!

          トラックバックありがとうございます!

          recommend

          お友達

          ミス・マープルについて

          書いた記事数:3431 最後に更新した日:2023/01/12

          あの映画を探そう!

          others

          mobile

          qrcode

          powered

          無料ブログ作成サービス JUGEM