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- 2023.01.12 Thursday
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JUGEMテーマ:洋画
出典:IMDb
「シアター・プノンペン」
原題:The Last Reel
監督:クォーリーカー・ソト
2014年 カンボジア映画 106分
キャスト:ラス・モニー
マー・リネット
ディ・サヴェット
ソク・ソトゥン
カンボジアの首都プノンペンに暮らすソポンは、軍人の
父が決めた結婚を嫌い、不良のベスナと遊び歩いている。
家では病気の母ソテアがおり、弟からは常に注意されっぱ
なし。そんな彼女が偶然入り込んだ町の映画館で母親が
主演する映画「長い家路」という作品と出会ってしまう...。
<お勧め星>☆☆☆☆ ポル・ポト時代のカンボジア映画史を
世間に知らせる貴重な映画です。
たった4年間で300万人虐殺
<ネタバレしています>
カンボジアを語る時、忘れてはいけない事実がポル・ポト派の
恐怖政治時代です。映画内でしばしば登場する
クメール・ルージュという名称はクメールがカンボジアの古名、
ルージュが共産主義を意味する赤を示す。もとはカンボジア
共産党員でフランスに留学した、ポル=ポト、イエン=サリ、
キュー=サンファンなどの過激な武力闘争を主張する人々を、
あだ名を付ける天才だったシハヌークが「赤いクメール人」と
呼んだことに始まる、蔑称でした。シハヌークはカンボジア王家の
血を引き、フランスの保護国時代の1941年に19歳で国王と
なった人物で、ポル・ポト派の政権時代には監禁されており、
その政権の終了後再び国王になっています。(世界史の窓より)
しかしその暗黒の時代を語り継ぐ人は少なく、映画のヒロインで
あるソポンも、当時何があったのか全く知識がないのです。
とりあえずソポンはベスナという不良と夜な夜な遊び歩くのが
楽しくてたまらないお年頃。一応女子大生なのですが、全く勉強
する気はなく、家では病に伏せている母親がいるもののその相手は
もっぱら弟がしているのです。父はカンボジア軍の大佐で、今は
ソポンの結婚相手(将軍の息子)との顔合わせだけが重要だと
思っています。ソポンは「女には選択肢がない」と語りますが、
実際は恋愛結婚も増えているようで、彼女の場合は父親の
職業関係から結婚相手を決められてしまった模様です。
出典:IMDb
それに反発して夜遊びするソポンは、ある晩、ベスナに置いて
きぼりになってしまうのです。絡んでくる不良たちを避ける
ために入り込んだ古い映画館で、彼女は1本の映画を目にします。
それはカンボジア内戦前1975年に製作されたもので、美しい
村娘と王子とのラブロマンスでした。そのポスターを見て彼女は
愕然とします。なんと実母がヒロインなのです。そして映画館
跡地の駐輪場で働くソカはその映画「長い旅路」の最後のリール
だけ残っていないと語るのです。ソポンは思い込んだら一直線
タイプの女性らしく、「続きを撮りましょう」と言い始めます。
それが母親を元気させるきっかけになればの一心でもあります。
出典:IMDb
ここで気になるのは母親ソテアの病気ですが、どうやら精神的な
病らしく、常にだれかがついていないと不安定になるらしい。
この理由もおそらくはクメール・ルージュ時代の辛い体験が元で
あると想像に難くないのに、ソポンは全くそういうことに気づかない
のです。そもそもそういう負の歴史をしっかり後世に伝えてこず、
この映画の撮影のための取材でも監督が脅されたり、嫌な思いを
したとのこと。こちらから調べることすらなかなか難しい事実を、
一般家庭、特に軍人の父親を持つソポンに家で語られるはずも
なかったのです。
一方結婚相手との見合いをすっぽかしたソポンに対し、父は怒り、
ベスナを暴行し、さらに違う派閥の不良にベスナを追わせます。
それでもソポンの行動力で、ベスナが農夫役、ソポンが村娘役で
撮影は進んでいきます。監督だと思われているソカがなぜかぼーっ
として映り込むのはなんでだろう。過去の幻影に追われているの
でしょうか。
出典:IMDb
クメール・ルージュ時代は、中国の毛沢東思想と文化大革命に強く
影響され、貨幣制度の廃止などの極端な共産主義化を強行し、
反対派を次々と処刑して恐怖政治を布き、また外国との関係を断って
鎖国政策をとったていたため(世界史の窓より)内戦により自由を
勝ち得ようとしていたカンボジア人のうち、特に目に敵にされたのが
知識層でした。しかしそれは次第に老若男女問わず一般市民、さらに
身内である軍内部まで広がります。「密告」が横行した時代だった
のです。
「最初に父が殺された」(2017)で描かれているのがまさに
そのものずばりでしょう。
映画も1975年に映画保存所が閉鎖され、フィルムは焼かれ、監督、
俳優、女優が続々と処刑もしくは強制労働を課せられていたのです。
その中でソカの所有している映画館はアメリカ軍などによる空爆からの
避難民を匿っていました。彼らはアメリカの後押しのあった腐敗した
ロン・ノル将軍支配から逃れ、クメール・ルージュ体制への大きな
期待を抱いていたはずです。しかしそのクメール・ルージュが避難民を
映画館から追い出し、攻撃から逃れた者たちを地方の収容所に送って
強制労働させたのです。
父親の妨害工作もなんとか免れて映画の最後の1リールを撮り終える
ことができましたが、実はその時にソポンが思っていたことと全く
違う事実がわかってくるのです。確かにソテアは「長い旅路」の
ヒロインであった。そしてソカも映画に関わっていた。しかし監督と
してではなく、農夫役としてだったのです。監督はソカの兄であり、
最後の1リールも残っており、それには王子と結ばれる幸せそうな
村娘の姿が映っていました。さらにソカはソテアを手に入れたくて、
実の兄を密告し、彼はソテアの今の夫、つまりソポンの手で殺害
されていたのです。
出典:IMDb
そしてソテアは強制収容所で働かされている時に今の夫の目に
留まり結婚したというわけです。「ソテアは内戦で死んだ」と
いうのある意味本当のことでした。
映画の再上映に訪れた人たち、ソポン、弟、ソテアが目にしたのは、
上映当初の内容に加え、ある結末が付け加えられています。
それを見た時に人々の穏やかな表情を見ると、あの内戦時、誰もが
ソカになっていたし、ソテアになっていたし、そして多くの命が
失われていた。その記憶に蓋をして今を生きているのだということを
感じます。たとえ負の歴史であっても、それを正しく知らない若い
世代を作り出すことこそ、同じ過ちを繰り返す源であると実感する
のです。
たった4年間で国民の4分の1である300万人が殺害されたと
されるクメール・ルージュ時代を絶対に忘れてはなりません。