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- 2023.01.12 Thursday
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JUGEMテーマ:ドキュメンタリー映画
出典:IMDb
「世界で一番貧しい大統領 愛と闘争の男 ホセ・ムヒカ」
原題:El Pepe,Una Vida Suprema
監督:エミール・クストリッツァ
2018年 ウルグアイ映画 74分
2015年3月1日。ホセ・ムヒカ大統領最後の日、彼は
熱狂的な民衆を前に自らの胸の内を語る。ムヒカの人柄に
惹かれ2014年から彼を撮影し続けたクリストリッツァは、
その瞬間までカメラを回し、ムヒカの魅力を伝え続けるの
だった。
<お勧め星>☆☆☆☆ 本当にこんな大統領が存在したのだと
思ってしまう。
必要なものは命を愛するための投資
ウルグアイという国についての知識と言ったら、南米に存在し、
サッカーが強い程度のもので、この映画を見た後あれこれ
調べる始末です。この映画の主人公は2010年〜2015年
まで大統領であったホセ・ムヒカであり、彼に対して
「世界でただ1人腐敗していない政治家だ」と直感し、
2014年から撮影し続けたのが監督エミール・クストリッツァ
です。
1950年頃までは南米のスイスと言われ、南米で唯一の
福祉国家だったウルグアイも、経済の停滞とともに政情は次第に
不安定になっていきます。1962年にはチェ・ゲバラの影響を
受けたセンディックたちにより武力による社会主義革命を目指す
都市ゲリラ、トゥパマロスが結成されます。ムヒカはその
メンバーだったのです。映画内で彼と行動を共にした人々が
幾人か登場しますが、いずれも投獄経験があり、
「ウルグアイすべての刑務所を知っている」
と語るものも存在するのです。映画はムヒカが大統領として最後の
演説を行う日の姿とかつて起こした幾つもの事件を写真や映像で
追っていきます。
出典:IMDb
また一方で自らトラクターに乗り、農作物を作り、愛犬を
可愛がるごく普通の庶民の生活を送る彼の姿も映します。
ムヒカの妻ルシアも投獄経験があり、その活動の中で知り合い、
二人で過ごし始めたのです。
出典:IMDb
大統領時代から私財はすべて財団に寄付し、極貧家庭へ家を与え、
学校を作り、子供たちに作物を育てる手法を教えるという、
その場しのぎではなく、将来に向けての自立を促す活動を行って
きました。
しかしトゥパマロス時代は、決して非暴力主義だとか法を
犯さないとかいう手法ではなく、「接収」と呼ぶ富裕層から
盗んだものを貧困層に渡す行為が主体でした。そこには当然
銃器が存在し、ムヒカも体中に銃弾を受け、脾臓がないと語ります。
銀行襲撃、偽装葬儀などでファシスト(ターゲットはアメリカ)
と戦い、彼らは幾度も投獄され、さらに集団脱獄し、そして
再び捕まるという状況で、その政治犯としての独房時代の経験が
今の自分を形成していると語るのです。
社会主義は難しい、とムヒカが語るように、「分かち合う」と
いう考えは、すべての人々に受け入れられるものではありません。
映画内でもある老人に
「ウルグアイをダメにした!」
と責められるシーンがあります。自分の能力で得た富を見返りも
なく貧困層に分け与えるということは、「不公平」と受け止められる
かもしれません。しかし極貧層がそこから抜け出す術は誰かが
そのきっかけを与えなければ永遠に極貧から抜け出せません。
一方で、いわゆる富裕層は幾らでもその富を増やしていく手段を
持っています。
ムヒカが大統領だった時代、貧困率は39%から11%に減り、
極貧率は5%から0.5%にまで減少しました。この数字だけでも
驚くべきものです。
ムヒカと妻ルシアの間には子供がおらず、それだけが残念だと何度も
語ります。しかし同じ信念で結ばれた二人のきずなの強さも感じる
のです。共和国では大統領は国民と同じ生活をすべきと語り、
ムヒカは就任時に着用したスーツを退任時にも着用します。普段は
その辺にいる農夫と同じ格好で生活しているのです。
当初極左ゲリラであったトゥパマロスも軍政から民政に移行する際、
合法的な政治団体と変わり、ムヒカもかつてのような武力による
活動でなく、政治的活動を通して下院議員となり大統領にまで上り
詰めたのです。
出典:IMDb
映画内でしばしば登場するムヒカの愛車である1987年製
フォルクスワーゲン・タイプ1は、彼の人懐こい瞳と丸い体を
そのまま表しているかのように感じられます。
派手なパフォーマンスが好きなだけである、バラマキ政策だと
野党から批判されているなどと報じている週刊誌もありますが、
退任の日のあの民衆の歓迎ぶりを見ると、すべての人が彼を
受け入れたわけではないけれど、彼によって救われた多くの
人々が存在したことを実感します。
彼は「利己主義ではなく連帯意識へ」と語ります。それは
ややもすると見なかったことにしてしまう弱い立場の人々へ
少しでも関心を持つことの重要さにも繋がっていると私は思って
います。