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- 2023.01.12 Thursday
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JUGEMテーマ:邦画
出典:IMDb
「寝ても覚めても」
監督:濱口竜介
原作:柴崎友香
2018年 日本=フランス映画 119分
キャスト:東出昌大
唐田えりか
瀬戸康史
山下リオ
伊藤沙莉
朝子は大好きだった恋人、麦が突然姿を消してから
2年余りたった時、東京で亮平という麦そっくりの
男性と知り合う。彼女は戸惑い、ずっと彼を避け続けるが、
愛を告白された後一緒に暮らし始めるのだった。
<お勧め星>☆☆☆☆ 映画全体のフワフワした雰囲気が
自分の心のある部分を刺激し、静かな共感を呼びました。
これ以上行かれへん
昨年鑑賞した邦画で同じような気持ちにさせられたのは
「南瓜とマヨネーズ」(2017)で、臼田あさ美さん
演じるダメ男を好きになる重い女(個人の感想です)に
なぜか頷くしかありませんでした。
出典:IMDb
「寝ても覚めても」では、まず麦と朝子の唐突な出会いから
始まります。建造物がお好きと語る柴崎友香さんの原作にも
出てくるのでしょう。通天閣や大阪国際美術館が冒頭から目に
入ります。つかみどころのない麦という男性に恋した朝子も
どこか現実離れした雰囲気の女性で、一つ一つの表情がとても
個性的です。
「遅くなってもちゃんと帰ってくる」
という彼の言葉を信じていたものの、ある日突然麦は帰って
来なくなります。心から大好きで、そこにいるのが当然になって
いた人が、何も言わずに姿を消した時、残された人の気持ちは
どうなるのでしょうか。
映画内で中盤に、震災から5年後の東北が映ります。
そこには活気が戻ってきたかのように思えるけれど、かつて存在
していた全ての物が人が戻ってきたわけではないのです。あの日を
境に二度と会えなくなった人たちも数多く存在するのです。
出典:IMDb
そして麦が姿を消して2年余り後、東京で朝子は亮平と出会います。
この2年余りをどのように過ごしたのか全く分かりません。
ただ一つ分かるのは彼女の心の中には麦が存在し続けたことなのです。
朝子の動揺ぶりが、その空白の期間の苦しい胸の内を物語ります。
同一人物が演じているから当然ですが、全く別の人間なのに全く
同じ顔をした男性が目の前に現れたら、せっかく進み始めた心の中の
時計の針が一気に逆回転を開始してしまいそうで怖くてたまりません。
性格も全く異なり、誠実で明るく、まじめな亮平に心を惹かれていく
朝子が、彼から遠ざかろうとする気持ちも本当によくわかります。
亮平のことを朝子はめっちゃ好きで、その気持ちが亮平をが頑張らせる
と彼は言います。それを聞くと、あまりに強いつながり方は、
ほんの少しの変化で一気に違う形になってしまうようにも思えるのです。
映画内の猫の存在も時に麦を時に朝子を映しているように感じられます。
出典:IMDb
終盤はまさかの展開で、そこでそんなに必死で走るのか!と
思ってしまいますが、全てを変えてしまえる人間など存在しないし、
汚いと思う川も見る人や見る気分によってはきれいに見えるかも
しれません。
男女二人が全く同じ強さで惹かれ合う時期はわずかであり、一方が
離れそうになると、もう一方がすがるし、切れかけた心が弱く細く
繋がり続けるものも存在すると思うのです。
その時々で折り合いをつけていくのが人生なんだろうなと感じて
います。許すことも人生だし、憎むことも人生の一部になっていくの
ですね。
この映画は、“見る”ことにこだわった映画だな〜と思いました。
交わされる演劇論や演劇を見るシーンとか。
何度も挿入される、写真展の牛腸茂雄の『SELF AND OTHERS』の写真!
モノクロの双子の女の子が、並んでこっちをじっと見ている写真が何度か出てくるんですよね。
朝子は、その絵が好きで、じっと写真の女の子を“見つめ”、写真の女の子からじっと“見られる”んです。朝子と女の子だけの作る緊密な空間。
朝子とバクの関係は、この“見つめる”“見られる”とても緊密で閉じた空間。心地よく甘い二人だけの、誰も入り込めない世界。つまり、夢を“見る”ような。寝て“見る”夢!
ところが、同じ顔に“見える”亮平と出会った朝子は、最初の頃、まるで、亮平の中に“バク”を見てるように“見つめ合う”関係を作っちゃう。
ところが、東北大震災後、二人で三陸海岸で被災者支援のボランティアを経験するなかで、2人は並んで一つの方向を“見る”ようになるわけなんですね。
並んで同じ方向を見ると、2人の視野は広がりを持ち、他者も入り込み、二人だけの空間ではなくなる。
その時、朝子は亮平をバクではなく、亮平を“亮平”として、これから一緒に社会生活をしていく相手と認識するようになったのだと思います。
覚めて現実を“見る”ようになったのだと。
何を“見る”か。相手だけをお互いに見る、か、一緒にこれからの生活、生きる道を見るか。
寝ても覚めても“見る”ことはできるけど、“見る”ものは全然違うんだと。
朝子は気づくんですよね!
バクが三陸海岸で車を降りると、
「海が見えると思ったのに、なんにも海が見えない」って言う!
バクは“バク”なんだ!“亮平”じゃない!
亮平と見た海!亮平と一緒にボランティアをし、並んで見つめた三陸の海があるのに…
震災後の高い高い防波堤の向こうには三陸の海があるのに…
防波堤を登らない。登る努力をしない“バク”。
それは、あの夏の日、朝子の心を置き去りにして消えたバクだ!朝子の気持ちを見ない、見ようとしない、見る努力をしないバクだ!
と、気付いたんだと思うんです。
そこに確かにあるのに、存在するのに、見ない。見えない。見ようとしない。見る努力をしない。
で、朝子は気づいたんですよね。
自分だって、亮平を見なかった。亮平の心を見なかった。 眼で見えない亮平の優しさ、信頼、亮平の心を見ようとしなかったこと。
亮平の心を傷つけ、取り返しがつかないことも。
私も、ラストの意味…
朝子は亮平と並ぶんですよね。並んで一緒に、同じ方向を、遠くの川を見るんですよね☆彡
亮平、「水嵩が増して、汚い川や…」。
「でも、キレイや」と朝子。
二人の視線の先にある川。川はメタファー。
川は、2人で歩いた道程、これからの人生なんだろうな〜。
穏やかで澄んだ流れの時もある。
けど、いろんな辛い経験を重ね、汚い罪をも背負ったように、川の水も水嵩が増えるし、汚くもなる。
そんな川も、いつかまたキレイな川になって流れるはず。
人生なんて、夢を見るような甘いもんじゃない。汚いもんだって、それを承知で、覚めて、見つめる二人。
朝子と亮平が並んで“見ているもの”は、実はこれからの人生、“見えないもの”だったんじゃないかって。
かなり、しんどい努力がいるだろうし、長い月日が必要だろうし、それでも、二人が、これから同じ方向を見ながら、紆余曲折、生活し始めるんじゃないのかな、って思いました。
そうおもうと、さすが濱口竜介監督。シビアでほろ苦くて温かい♡
カンヌで好評だったらしいけど、賞は、いずれ獲る日がくるかもしれないですね☆彡