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- 2023.01.12 Thursday
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JUGEMテーマ:ドキュメンタリー映画
出典:IMDb
「海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜」
原題:Fuocoammare/Fire at Sea
監督:ジャンフランコ・ロージ
2016年 イタリア=フランス映画 114分
イタリア南部の島、ランペドゥーサ。島民は昔ながらの漁で
生計を立て、12歳のサムエルは、友人とパチンコを作ったり、
石投げをしたり自由に遊びまわっている。その一方でこの島
にはアフリカなどからの難民が押し寄せており、彼らを救助し、
保護し、治療にあたる多くの人々も存在していた。
<お勧め星>☆☆☆☆ のどかな島民の姿と同じ場所で生死の
境に置かれた人々の姿が対照的に描かれています。
救うのが人間の務め
この映画は2016年、第66回ベルリン国際映画賞、金熊賞を
受賞したドキュメンタリー作品です。舞台になっているのは
イタリアの南部に位置するランペドゥーサ島で場所はこの辺り。
出典:Google
まず字幕で、この島には20年間で40万人の難民が上陸し、
上陸前のシチリア海峡では15000人ができ死していると
流れます。これはあくまでも推測された数であり、実際には
もっと多く亡くなっているはずです。難民と言ってもその経緯は
様々ですが、映画内に登場するアフリカ系や中東系の人々は、
故郷が内戦にみまわれたり、イスラム過激派から逃れてきたり
しながら、あちこちを転々としてようやくこの地までたどり着いた
者ばかりです。「そうだ、難民しよう」だの「武装難民」だの
軽々しく口にする前に少し知識を持ってほしい。彼らは決して
故郷を捨てたくなかったけれど、そこにいられなくなってしまった
人が大半です。
出典:IMDb
そしてこの島で暮らす一人の少年、サムエルが映ります。彼の本当に
ありふれた日常が淡々と描かれていくのです。12歳のサムエルは
友達とパチンコ作りをし、石を投げて遊ぶごくごく普通の子ども
の生活を送っています。彼は祖父母?と暮らしていますが、それに
ついての説明はありません。食事の支度をしながら流れるニュースで
「難民がシチリア沖で難破し、かなり亡くなった」というのを聞き
ながら祖母は「ひどいことね」と言いつつ食事の支度を続けます。
その出来事が自分の島の周りで起きているということと結びつかない
のです。
一方難民を保護し、診察をしている医師は、双子を妊娠している女性の
MRI画像を見ながら「通訳がいればいいのにな」と言いながらも
しっかり彼女に説明をします。この医師は島に一人しかいないの
でしょうか。サムエルの目の診察もし、彼の左目が弱視であるから
治療しようと普通の医師行為も行うのです。それでいて、難民が上陸
する際の健康チェックから遺体の検分作業まで行うのです。彼は語ります。
「いくつも検分したら慣れるだろうと聞かれるが、それはない。子供や
妊婦の遺体を見るたびに心が痛む」と。
映画はそれを映したかと思うと島民の日常に変わります。サムエルが
友達とパチンコでサボテンを撃つ行為を映したり、素潜りをして
海産物を獲る男性を見せていきます。
出典:IMDb
この島では日常と非日常が同時に起こっていることがわかるのです。
ところがお互いに気づくことはありません。なぜなら難民はすぐに
隔離されるので普通の島民がその姿を見ることはないのです。
ナイジェリアからサハラ砂漠を越え、リビアに着いて刑務所に
入れられた後、海に出て自由を得た、とラップで歌うアフリカ系の
男性の言葉は、彼らの過酷な過去とこれから先につきまとう不安を
印象付けます。飢え、乾き、暴力、溺れる。あらゆる拷問のような
体験を受けてきた人々ばかりなのです。
サムエルはそんなことを想像することもなく、島に生まれたからには
漁師として一人前にならなくてはいけないと船酔い克服訓練を受けます。
彼はボートの上で船酔いで戻してしまうのですが、その海では多くの
難民が命を亡くしており、救助されても極度の脱水で瀕死の状態の者が
たくさんいるのです。そもそも溺死した人たちが数えきれないほど
いる海です。しかし島民はこの海を生活の糧とし、この海と共存する
生活をずっと続けているのです。
映画内でラジオ番組に電話リクエストするシーンが数回流れ、その中の
1曲が「海の炎」。それはリクエストした女性の祖父が乗っていた船が
夜に放つ光がまるで炎のようだったからだと語ります。
それが今では、難民を乗せた船を捜すヘリコプターや救助船のライト
ばかり見られるのです。もちろんやはり普通の島民は実情をほとんど
知りません。ところがその両方を知っている人物がいるんです。それが
難民を診察したり検分したりするサムエルの主治医です。この日常と
非日常を(今やどちらも日常かもしれない)彼自身が心の中でどう消化
しているのか、いや消化できるはずもありません。どちらもほぼ
半永久的に続いていくであろうものなのですから。
出典:IMDb
医師が見せる難民の乗った船の姿はあふれんばかりの人で埋め尽くされ、
それでも外気を据える人は1等で1500ドル、床あたりにいる人が
2等で1000ドル、そして船倉にいるのが3等で800ドルを支払って
いるそうです。3等の人々は船のオイルにまみれ、暑さと渇きにひたすら
耐え続けるのです。映画のラスト付近に多くの遺体が積み重なった
シーンが流れます。また救助されても瀕死の人、殴られ血の涙を流す人、
心が壊れてしまった女性なども映り、彼らを救う術はないものかと
考え込んでしまうのです。
この映画が2016年製作で、新型コロナ流行のこの時期に、今どんな
状況にあるのかどこかで報道すべきことではないのでしょうか。
ラストシーンは弱視克服用の眼鏡をかけたサムエルが、小鳥と会話する
もので、少しだけ心が安らぎます。