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- 2023.01.12 Thursday
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「ブラック・スキャンダル」
原題:Black Macs
監督:スコット・クーパー
2015年 アメリカ映画 123分 R15+
キャスト:ジョニー・デップ
ジョエル・エドガートン
ベネディクト・カンバーバッチ
ロリー・コクレイン
ケヴィン・ベーコン
1970年代の南ボストン。アイルランド系マフィア
のジミーは、同じ地区出身のFBI捜査官コノリーから
イタリア系マフィアを排除するため、協定を結ぶ話を
持ちかけられる...。
<お勧め星>☆☆☆☆ すごく面白かった。ただ同じ
名前の人や顔が似た人がいて、人物を覚えるのに苦労
しました。
ジョニー・デップの役作りは本当に圧倒されます。映画
内の薄毛は、特殊メイクだそうですが、右の前歯が変色
しているところまで、本人に似せています。できれば
人物相関図を片手に見たいところですが、それは映画が
終わってから、幾度となくチェックしてカバーしました。
始まりはFBI捜査官と取引するために、ジミーこと
ジェームズ・”ホワイティ”・バルジャーの手下が証言を
するところからです。その男はケヴィン。
そして時はさかのぼり、1975年のケヴィンに変わり
ます。彼はジミーの店の用心棒として立っており、店の
前でもめ事を起こすのです。最初から暴力の応酬で、
使う言葉には必ずfuckがついている。まさにマフィアの
世界です。
さて南ボストンは、サウシーと呼ばれ、アイルランド系
マフィアの縄張りであったものの、イタリアン・マフィア
としのぎを削っていたらしい。ジミーは「仲間同士の
忠誠心」を何よりも大事にし、裏切りは絶対に許さない
男だったのです。そのあたりは序盤にバンバン裏切り者を
射殺するシーンからも伺えます。
彼と親しいのは、同じサウシー出身でFBI捜査官ジョン・コノリー
で、この役を演じるのは「エクソダス:神と王」(2014)
などのジョエル・エドガートン。彼はFBI内で手柄をあげるため
ジミーを利用しようと考えるわけです。
このコネリーの上司役でちょっと老けちゃったケヴィン・ベーコン
が出演しているのはうれしい限り。不良や悪役から一皮むけた
感じがします。彼の向かって右手にいるのがジョン・モリスと
いい、「誘拐の掟」(2014)のデヴィッド・ハーバーが
演じていますが、実はコノリーもファーストネームがジョンなので
まず戸惑います。一応字幕では使い分けてあったけれど、ラスト
付近にはどっちのジョンだろうと思ってしまうこともありました。
で、コノリーは、イタリアンマフィア、アンジュロファミリーを
潰すために、ジミーに情報屋をするように持ち掛けるわけです。
もちろん見返りは、ジミー一味「ウィンター・ヒル・ギャング」
の悪事には目をつぶるというもので、これによってジミーたちは
どんどん勢力を拡大していきます。この話に乗る前に、実は
ジミーは同士のミッキーをアンジュロファミリーに射殺されて
おり、その報復も兼ねて話に乗るのです。時代を感じさせる
バカでかい車の窓を手でくるくる開けて、そこから発砲すると、
相手の頭を確実に撃ち抜き、血しぶきがウィンドーガラスに
飛び散るシーンは何度見ても怖い。
一方でジミーの弟ウィリアムことビリーは、上院議員をしており、
母親の家での食事風景を見ると、本当に微笑ましく感じられるのです。
ベネディクト・カンバーバッチはちょっと太ったかな。仲間、特に
血縁の絆は強く、中盤でのアイルランドの祭り「セント・
パトリックス・デイ」での兄弟の目配せは、それを痛切に感じさせ
るのです。
しかし、ジミーの息子が突然の病で亡くなり、妻も彼のもとを去り、
さらには最愛の母が亡くなると、ジミーの人間不信は強まり、その
残虐性も強まっていくのです。どんどん規模を広げていったジミー
のその後の姿は、コノリーの焦燥感と交互に映り、栄枯盛衰を感じ
させます。しかしラストのクレジットで流れた登場人物の現在を
見ると、「忠誠心」を持ち続けたのは誰かがよくわかります。
色恋を一切排除した、まさに男の映画でした。
「ストックホルムでワルツを」
原題:Mnonica Z
監督:ベル・フライ
2014年 スウェーデン映画 111分
キャスト:エッダ・マグナソン
スベリン・グドナソン
シェル・ベリィクビスト
スウェーデンの田舎町で電話交換手をしている
モニカは、一人娘エヴァ=レナの世話を両親に
任せ、夜はジャズクラブのステージに立っている。
そんな彼女にニューヨークで歌を歌うチャンスが
舞い込むのだが...。
<お勧め星>☆☆☆半 色遣いやファッションが
素敵だし、何よりジャズメロディが心地よいです。
スウェーデンの伝説的な歌手モニカ・ゼタールンド
の半生を描いた作品で、その役を演じている
エッダ・マグナソンは人気のジャズシンガーで、
その味わい深い歌声とともに美しい顔だけでなく
ヌードも披露する体当たり演技を見せています。
また1960年代のファッション、髪型、車、街並み
などが見事に再現されており、どこか郷愁を誘う雰囲気を
漂わせているのです。
スウェーデンのハークウォッシュという田舎町に住む
モニカは、電話交換手をしながら、夜はジャズクラブで
歌を歌うシングルマザー。家には自身の両親がいて、孫で
あるエヴァ=レナの世話をしているんだけれど、モニカ
は特に父とそりが合わないのです。
映画内で幾度となく繰り返される口論の中で、父は
「お前はなぜ木登りで上を目指すんだ。同級生が途中
であきらめても、お前は頂上を目指し、見事に木から
落ちたじゃないか。」
と言い、モニカは
「わたしは上からの景色をみたいのよ。」
と言い返すのです。後半にわかるのですが、実は父も
かつてジャズのトランぺッターであったらしい。結局
夢破れた自分を顧みて、現状に満足することを諭すわけ
です。
モニカに舞い込んだニューヨークでステージに立つ、と
いう話は、浮かれて舞台で歌った彼女の前から客が立ち
去るという現実と、尊敬するジャズシンガーからの酷評
で打ち砕かれるのです。この時代ジャズは黒人の歌で
あり、その歌を聴きに来るのは白人で、まさかモニカの
ような北欧の金髪女性が歌うなどとは思わなかったの
でしょう。それでいて彼らに楽屋はなく、モニカが自分
の楽屋を使って、とまで言っています。またモニカの
あこがれのジャズシンガーに自分の歌を聴いてもらうも
「心で歌いなさい。真似だけでは歌えない。」
と言われるのです。
失意のまま帰国したものの、こんなことにモニカは
負けません。再びスウェーデンでのツアーに参加し、
’スウェーデンの言葉でジャズを歌いたい’
と考えます。バンドのチェリスト、ストゥーレが渡した
ベッペの詩集から曲がスラスラ思いつくあたりは彼女
の天性の才能を感じさせます。ただ酒とたばこが手放せない
姿が多く映され、モニカの歌のレッスンシーンがほぼ
見られないのは少し残念です。
さらにモニカは、自分の目的のために有名な男性を利用
していくのですが、それがことごとく成功し、国内での
トップ歌手に登りつめます。この辺りはあまり好感の
持てる姿ではありません。しかし現実にはこんな世界
なのでしょうね。娘のために豪華な家を買い、派手な
パーティーを開くものの、それは当時の恋人ヴィルゴット
に受け入れられるものではなかったのです。そして
ユーロビジョン・ソング・コンテストにスウェーデン代表
で参加し、自慢の歌を披露したものの、ジャンルが
ふさわしくないということで、なんと零点に終わってしまう。
彼女の挫折は続きます。この辺りはとてもテンポよく
描かれ、ヴィルゴットと別れ、いつもそばにいると思って
いたストゥーレの婚約、新しい恋人の浮気、流産など
彼女は大きな打撃と苦痛を受けるのです。しかし舞台上
では相変わらずモニカを演じ続けます。けれど一旦自宅に
戻るとたった一人で大きな屋敷にいることの孤独に押し
潰されそうになるわけです。何かを得るには何かを犠牲
にしないといけない、と言うけれど、彼女の得たいものは
あまりに大きな犠牲を伴ったのかもしれません。
ラストに再びニューヨークに呼ばれ、観衆の前で自身の
歌をスウェーデン語で歌うと拍手喝さいを浴びます。その
歌を地元では両親がラジオで聴いているのですよ。父は
その歌を聴き初めて涙を見せます。
「挑戦すれば成功できたのに」
とモニカに言われた通り、挑戦すれば成功したかもしれ
なかったけれど、それを今自分の娘が手にしているのです。
ラストはストゥーレとの結婚式の後、どんどん高く上がって
いくモニカが映ります。彼女はまさに今、木の上からの
景色を眺めているのだなと実感するシーンでした。
その後のモニカ・ゼタールンドは、重い脊柱側弯症のため
引退し、車いす生活を強いられた後に、悲劇的な自宅火災で
亡くなっているとのこと。彼女の最高の時期でエンディング
にしたことは、気分の良いまま見終わることができました。